to be left federer

テニス歴10年の元コーチが自分の左に魅力を感じサウスポーへ転向し、10年後のITFシニアツアー参戦→優勝を目指す成長ブログ📔その過程で得た学びや気付きを発信↓ 同じようなことを考えた人の助けにもなれば🙆‍♂️テニス中心に、雑記も交ぜつつ。(裏テーマは成長✖︎メンタルヘルス)*現在note(note.com/shibuksk)の方に移行。

サウスポー転向した原因

 

こんにちは。2020年もそろそろ終わりですね。

サウスポー転向は2020年12月28日現在で138日目となり、もうすぐで5ヶ月となります。

そしてこのブログの方も今年の9月に始めたのでもうすぐで4ヶ月となります。

いつも読んで下さっている方、ありがとうございます。

これからもマイペース更新となるかもしれませんが、よろしくお願いします。

 

今回の記事は年の瀬なので、このブログの核となる「僕がサウスポーに転向した理由」というテーマでお話ししていきたいと思います。

以前自己紹介の記事で少し触れたかもしれませんが、あれから時間が経ってより考えがまとまったので、今回はさらに詳しくお話ししていきます。

なぜサウスポーに転向したかはもちろん、筆者の来歴や大事にしている価値観も見えてきますので是非最後までお読みください。

 

では早速、サウスポーに転向した理由について話ししていきます。

 

僕がサウスポーに転向した1番の理由は、

「右のフォアが試合で入らない」からです。

 

そして次の理由として

「右のフォアは素振りをすればするほど感覚がずれて下手になる」

も挙げられます。

 

そしてこうなった原因として考えられるのが、

小学校6年生の時に起こった「右足首靭帯損傷」です。

これにより右足が他の人と同じように使えない状態になりました。

 

これからはこの“靭帯損傷”についてちょこっと小話をしていきたいと思います。

お付き合いください。

 

右足首の靭帯を損傷したのは小学校6年生のことで、当時僕はテニスじゃなくてサッカーをしていました。

である日中学校の部活体験ということで近くの中学校に行き、サッカー部の体験をしました。

そして中学生と混じってミニゲームをしていた時、その瞬間が訪れました。

何かが切れたような音。足首の感覚がなんかおかしい。

10年以上経った今でもその時のことはよく覚えています。

明らかに右足首がおかしいことは分かっていても不思議と痛みはなかったのでプレーどころか部活体験を最後までやりました。

しかし、捻挫などの足首の怪我は捻った直後は炎症を起こして温かい状態なので痛みはありません。

しかし一度冷えてしまうと炎症が痛みに変わってズキズキしてきます。

部活体験を終え、体が冷えた僕の右足首は痛くて痛くて帰り道は左足一本でケンケンをして帰りました。(ケンケンの揺れで右足が揺れるだけでも激痛。親とか呼べば良かったと今では思う)

 

一応、小学生の時はギプス→松葉杖→リハビリで治しました。

 

しかし時は流れ大学時代。

何を考えてか小川を飛び越えて着地した時、再発しました。グキっ。

 

痛かったけど病院に行かなかったです。

自然治癒で治しましたが、後遺症が残りました。

まじで病院行っておけばよかった。

今からでも遅くないかな?

 

話は変わって中2でソフトテニスを始めました。(硬式は高校から)

定かではないですが、靭帯損傷によってソフトテニスを始めた時からフォアの身体の使い方がおかしかったのかもしれません。

ちなみに現在も、右足の内側は力が入りづらいです。(大学の時病院に行かず治療もリハビリも受けなかったので)

 

 

この右足首の靭帯損傷が直接の原因かは分かりませんが、

特に試合でフォアに自信を持てませんでした。

フットワークが上手く合わない場面も多かったです。

 

テニスを始めた初期の、中学生の時(ソフトテニスの時)はメンタルに原因があるんじゃないかと思ってイップスとかも考えたりしました。

その時期はテニスのメンタル関連の本結構読みましたね。

 

でもフォアに難があるにも関わらず、やはりフォアにこだわっていました。

それはフェデラーに対する憧れによるものです。

 

 

またまた話は変わりますが、昨日のTwitter

右でのプレーは下手ではないということに対して、「9割は正解だけど1割は間違っている」とお伝えしました。

その1割というのは今まで読んでもらって分かるように、「フォア」です。

そして残りの9割は片手バックやサーブ、ボレー・スライスなどのことです。

 

 

なぜ「フォア」が僕にとってそんなに大事なのか。

 

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、筆者はフェデラーが好きです。

 

フェデラー選手というのは、僕がテニスを始めてから1番最初に好きになった選手です。

好きになったきっかけの試合があって、それは2010年のツアーファイナルズ決勝、フェデラーナダル。(youtubeに動画上がってます)

結果はフェデラーの勝利で、優勝。

そこでフェデラーのフォームの美しさやプレーの多彩さ、攻撃的なスタイル、そして強くて世界一。というところを見て、カッコいい!!と思いファンになりました。

そこからはGAORAyoutubeで試合だったり練習の動画をよくみるようになりました。

 

サーブや片手バックも真似したり。

 

でも僕の中ではやはりフェデラーといえばフォアハンドでの攻撃からの決めボレーでした。

 

これを真似したいなと思いました。

 

気づいたらフォアへのこだわりが強くなっていました。

 

これが僕がフォアにこだわっていた理由です。

 

でもサウスポーに転向してからは、もしバックの方が得意になるのならそれはそれで良い。と思えるようになりました。

 

 

 

ここからはそんなフォアを改造するべく行った、グリップの握り方変更の歴史です。

 

テニス始めた当時はフェデラーがフォアでどんな握り方をしているか知らなかったので、フェデラーとは違うウエスタングリップで握っていました。

 

 

段々とテニスのことを知っていくと、グリップの握り方は1つじゃないんだと気づいてきます。

 

大学時代から少しづつフォアのグリップチェンジをしていきます。

 

最初はイースタングリップ。

ほぼボレーのグリップ。

めっちゃ安定する。

でもボールの威力が今ひとつ。(現在コーチする時は基本このグリップでやっています)

 

エスタンに戻す。

 

テニスコーチ就職。

 

エスタン→自己流セミイースタンへ。

ショートラリーできるようになった。(イースタンでも)

イースタンよりはパワーもスピンも出る。

でもイースタンよりは安定しない。(コントロールしづらい)

 

さらに、振り切れない。

ダブルスフォアリターンポーチされまくる。

シングルス試合や大会で振り切れない。

入るけど弱いボール。

 

これらのいろいろなことがで積み重なって握り方も一通り試し切ったので、サウスポーに転向するという決断に至りました。

 

 

はい。ここまではサウスポー転向を決めた経緯についてお話ししてきました。

 

 

ここからはなぜ右で試行錯誤をするのではなく、左でやっていくと決めたのか。について話していきたいと思います。

 

サウスポーが良かった理由としては、

フォアが

・1番始めに素振りをした時(大学生ごろ)から感覚が良かった

・振り切れる

・ショートラリーも最初から上手くできた

・そして右のフォアは素振りをすればするほど感覚がずれるのに対して、左はそれがない

 

ことが挙げられます。

 

ではなぜ感覚が良かったのだろう。

 

それは10年のテニス歴でフォームやグリップに試行錯誤した経験、フェデラーが好きで映像を観まくった経験、そして右足首とは違い左の足首は健常であることから、一発目の素振りからイメージ通りに体を動かすことができたんだと思います。

やはりラケットスポーツと言えど、身体を使う以上、身体を上手く動かせるかが大事になってくるんですね。

 

今では、とあるアプリを使ってフェデラーの反転プレー動画をちょくちょく見ています。

そしてそ動画を見て、右の動画ではイメージしづらかったプレーも左では上手くイメージできるし、実際に打つ時もイメージ通りに近い感じプレーできます。

 

ではフォア以外はというと。

右にはもちろんまだまだ劣ります。

でもフォアも含め“全て”グリップを握った感覚が良いです。

努力でなんとかしたいと思っています。

 

さらに言うと、テニス10年やってきて今は技術であんま悩みたくない。

と思っています。

 

選手(プレイヤー)として一旗揚げたいので、技術に悩む時間をフィジカルやメンタル、戦略に充てたい。

そういう思いもあります。

 

もちろん順風満帆に行くとは思いませんが、右での10年は無駄にならないし、そうしたいと思います!

 

 

 

はい。今回は以上です。

いかがだったでしょうか。

サウスポー転向した理由が何となく分かりましたかね。

最後らへんはだいぶはしょって書いちゃったかもしれませんが、僕の今の文章力ではこれが限界です。すみません。

 

 

長々と書きましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!

 

また次回👋